「我慢」というと、感情や欲求を抑え込んだり、やりたくないことを無理に行ったりするという時に使われるかと思います。
また、「忍耐」という言葉も、似たような意味で使われています。
しかし、何となくですが「我慢」は悪で、「忍耐」は善な気がしませんか。
なぜなら、我慢は本来は仏教の用語で、「自分の考えに固執する」という意味を含むからです。
「自分は間違っていない。だから、状況を改善しようとすることなく過ぎ去るのを待つ」「いつか良くなるだろうと期待する」というのが我慢です。
それに対し、忍耐は字のとおり、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことになっても、目の前の現実に立ち向かうことです。
そこには、苦しみながらも自ら状況を変えようとする意志がみられます。
「我慢」と「忍耐」の違いとは、満足していない現状を、変えようとする意志があるかないかの違いなのです。
以上のようなことから、私なりの考えですが、
「我慢」とは間違えた努力、「忍耐」とは正しい努力
と定義します。
我慢をどれだけ続けたとても、状況が変わることはありません。
我慢をし続けることはできませんから、いずれは変化を諦めることになります。
しかし、忍耐を続けていれば、少しずつでも状況が変わってくるはずです。
変化を感じることでさらに続けることができますし、楽しむこともできるでしょう。
ダイエットでいえば、食べたいものを食べないというのは我慢です。
始めたばかりで情熱のある時は我慢することができますが、いずれは心理的な食欲に打ち負かされることになるでしょう。
自分の信じるダイエット法を続けることで、鏡で身体が変わってくるのを確認するのが忍耐です。
好きな服装でお洒落ができる、周りの人が気がついて褒めてくれるなど、辛かったはずのことが楽しくなってくるのです。
以前に述べたように、人の心は「苦痛を避けて快楽を求める」ようにできています。
ですから、目指すべきは「快楽が苦痛を超える」ということになるのです。